株式会社リベルタス・コンサルティング

自由(LIBERTAS)について考える

リベルタス・コンサルティングは、2006年7月29日で設立1周年を迎えました。そこで、今回は、弊社の会社設立の理念でもあるリベルタス=自由について考えてみたいと思います。

自由は、“自ら”があって初めて存在する

日本語の“自由”という言葉は、福沢諭吉がliberty(freedomという説もあります)を「自らをもって由となす」と訳したのがその始まりです。すなわち、自由とは、他人に与えられたものではない『自ら(の意思や考え)』を、『行動の由(理由)』とすることを意味しているといえます。ここで重要なのは、自由は、“自ら”があって初めて存在するところです。

なお、アイザイア・バーリン(『自由論』(みすず書房、1971年)は、自由について「積極的自由」と「消極的自由」という2つがあることを述べています。積極的自由とは、主体が自らの必然に従って決定できること(〜への自由)を意味し、福沢諭吉の訳に近いといえます。もう1つの消極的自由とは、「〜からの自由」などとも呼ばれ、主体が他からの強制を受けていない状態、束縛がない状態、選択肢が多く与えられている状態にあることを意味します。

時代・社会背景や場面などによって、この2つの自由の重要度合いは異なりますが、現代の日本では、特に消極的自由が強く主張され、積極的自由が失われている傾向にあると考えます。世の中に情報や規則、価値基準があふれることにより、いつのまにか自分の判断や決定を他者に委ねていることはないでしょうか。自分の行動・決定を、周りの価値基準や考えにあわせるのではなく、自らの考えや意思・基準に従うという“自由”の側面が、自由を考える上では重要だといえるでしょう。

自由は責任を伴う

アメリカの劇作家、バーナード・ショウの言葉に「自由は責任を意味する。だから、たいていの人間は自由を恐れる。"Liberty means responsibility" That is why most men dread it."」がというものがあります。責任は、自由に伴って発生する負担といえます。逆に、責任の取れない状況では、自由は発生しません。

なお、この責任の定義・範囲については、議論の元となることもありますが(例:自己責任を巡る各種の議論等)、大きく2つの意味があると筆者は考えます。1つは、“行為に応じて発生する結果を受け入れる責任”です。これについては、どこまでの範囲を負うべきか議論は分かれるとは思います。J.S.ミルが、『自由論』において「自由の名に値する唯一の自由は、われわれが他人の幸福を奪い取ろうとせず、また幸福を得ようとする他人の努力を阻害しようとしないかぎり、われわれは自分自身の幸福を自分自身の方法において追求する自由である。」とで述べるように、少なくとも他者の自由を尊重し勝手な振る舞いはしない程度の責任は、必ず負うべきでしょう。

もう1つ重要なのは、“自分のしたことを説明し、何故そのようにしたかを明らかにする(できる)責任”です。前項であげたように、周りの情報や規則、価値基準に委ねている状態では、自分のしたことを説明し、何故そのようにしたかを明らかにすることはできません。また、説明できない単なる思い付きや衝動的な行動も、自由とは呼ぶことができないでしょう。

自由を創出するために

リベルタス・コンサルティングの役目は、これまで述べてきたような「自分の責任において、自分の意思・判断で決定・行動することができる“自由”」を社会に1つでも多く創出することだと、筆者は考えています。リサーチにより、自らの価値基準を「発見」し明確にするお手伝いを、コンサルティングにより、自由を実現する「方法」を考えるお手伝いをします。そしてプロデュースにより、社会に自由を形として「創出」するお手伝いをします。

「人類は、自分にとって幸福に思われるような生活をたがいに許す方が、他の人々が幸福と感ずるような生活を各人に強いるときよりも、得るところが一層多い」とは、ミルの言葉です。どのようにしたら、各人が自分の中の声に従って自由を獲得できるのか、今後もリベルタス・コンサルティングの活動を通じて実践していきたいと思います。

参考文献

2006年9月7日
八田 誠(はった・まこと)
※本稿は執筆者の個人的見解であり、弊社の公式見解を示すものではありません。
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